過去の「お気に入り」251回〜

〜50 〜100 〜150 〜200 〜250 〜300 301〜
第251回 嘉一郎・・・みつ・・・おぼこ
許してけれ・・・・
吉村貫一郎
10時間ドラマ「壬生義士伝」の中のセリフです。
死んでいく際に、吉村がつぶやいた言葉。
ただただ泣くだけですね。・°°・(><)・°°・。
第252回 なんたるうめえ風にてごあんすか 吉村貫一郎
第251回とは違い、息子の方の貫一郎のセリフです。
出典はもちろん「壬生義士伝」原作!
第253回 六月二日。沖田が千駄ヶ谷にいるというので
直ちにかけつけた。が、一足遅かった。
小金井兵庫
演劇集団キャラメルボックスの演目「風を継ぐもの」より。
架空の新撰組隊士小金井の日記に、こう書かれています。
この舞台は、本当によかったですよ!(><)
第254回 お前、沖田に似ている 土方歳三
司馬遼太郎先生の「燃えよ剣」の中のセリフ(^^)
土方さんが、少年市村鉄之助を隊士として採用したその理由は
彼が沖田さんに似ている、という理由からでした。
本当に似てたのか・・・あとで考えてみれば土方さんにも疑問です(笑)。
第255回 徳川幕府掉尾の勇をふるえる新撰組の
巨魁近藤勇と土方歳三の墓標である。
小樽新聞
永倉さんが小樽新聞に「永倉新八」を連載していましたが、
それとは別に、新聞記事として、板橋の新撰組慰霊碑の紹介が
書かれました。その中の一文です(^^)
第256回 名乗り給え!拙者は新撰組
柔術師範頭松原忠司じゃ!
松原忠司
子母澤寛の名作(?)、「壬生心中」の1シーンから。
例の「安西某」との喧嘩の場面ですけれども、これって「子母澤の創作」と
されていますね〜(^^;)私も、そうだと思います(汗)。
第257回 「危ない!みな、あの若者を狙ってるぞ」 沖田総司
第一生命の「パスポート新鮮組」のCMから(^^)
「Jリーグ編」ですね〜GKを守りながらグラウンドをかけてゆく
近藤さん・土方さん・沖田さんが面白かったです!
第258回 「梅の花 一輪咲いても梅は梅」 土方歳三
土方さんの句集「豊玉発句集」からの引用です(^^)
そのまんまやん!などと突っ込まずに、この句から季節を
感じてみましょう(><)
第259回 抜刀斎が約束を守りました
蒼紫様が帰ってきますよ・・・
般若
「るろうに剣心」(和月伸宏先生)からの引用です。
四之森蒼紫率いる御庭番集の、般若の魂が伝えたこのメッセージ。
泣かずにはいられません!(><)
第260回 新撰組にいる限り・・・
どの役職であろうと一緒だよ
山南敬助
舞台「歳三」より、山南さんの切腹直前の・・・
土方さんとの会話から。私は号泣しながら見てました(涙)。
第261回 三十郎のばかたれを
斬っちゃえばいいんじゃない
沖田総司
いや〜ほんと口の悪い沖田さんです(^^)
あまりにも素敵すぎる彼は、「壬生義士伝」の沖田総司。
なにげに、斎藤さんと仲がいいのも微笑ましいですね(^^)
第262回 露ふりて しける千草の 秋の野に
いろはへて咲くしらきくの花
大河内太郎
新撰組隊士大河内太郎(山脇正勝)による歌・・・と
「新選組大人名事典」(新人物往来社)で紹介されている
ものです。
第263回 如来堂ニテ
山口次郎ト共ニ戦死ス
中島登絵姿
中島登が描いた、池田七三郎(稗田利八)の「隊士絵姿」に
書かれている文章です。山口次郎は、もちろん斎藤一のこと。
会津戦争の際、何人が如来堂に布陣し、何人が生き延びたのでしょうか。
確かに布陣し、生き延びたはずの稗田は、何も語っていません。
第264回 会いたいというのなら、そっちから
出向いてくるのが礼儀だ
島田魁
明治になってから、「旧交を温めたいから、会いに来てくれ」という
榎本武揚の使いに対しての、島田魁の返事です。

意志を貫いた島田魁。黒鉄ヒロシさんの「新選組」からの引用です。
第265回 小柴長之助 使者
一本杉へ来り 土方渡す
佐藤家文書
佐藤家文書に残る、小柴長之助の行動です。
小柴は徳川の御庭番なんです。なお、土方さんの戦死時は
捕虜になっていた、という話もあるので実際、↑の通りだったのか
わかりません〜(^^;)
第266回 飲んでも天下国家を論じぬところが
面白い。わしと同じじゃ
林権助
司馬遼太郎先生の「燃えよ剣」の中のセリフ。
林は、会津藩士です(^^)
わしと同じ〜と言われているのは土方さんです。
あくまでも「兵(つわもの)」であろうとした2人の気持ちが
感じられますね(^^)
第267回 八の日のこの刻くらいにきます 沖田総司
これも司馬遼太郎先生の作品である「新選組血風録」の中の
有名な「沖田総司の恋」の中のセリフです。
沖田さんが女性に告白するシーンですよね〜
音羽の滝にまた行きたくなりますよね〜!
第268回 彼は特別だから・・・・
儂の娘の最期を看取った夫だからのう
オイボレ
「るろうに剣心」(和月伸宏先生)からの引用です。
「彼」とは緋村剣心。世捨て人の集まる落人群に暮らす
通称オイボレは、実は剣心の前の妻の父親だったんです〜!!!
第269回 お身体を大切に 於琴
土方さんの許婚の「於琴」さんの肉声。
彼女の「その後」は今も判然としていません・・・。
第270回 はやく来い、迎えに来たぞ 近藤勇
「天まであがれ!」(木原敏江先生)の中から。
沖田さんの夢の中に出てきた近藤さんのセリフです(涙)。
第271回 相手の手の内が
見えないことなど戦いの常
斎藤一
「るろうに剣心」(和月伸宏先生)の一節。

雪代縁と初めて剣を交えることになったのを見た斎藤さんのセリフ。
幕末・戊辰・西南戦争と戦ってきた彼ならではのセリフです(^^)
第272回 外国の軍艦の水兵がカッターで
淀川を溯って京に入っちゃ
御所におそれ多かろうぜ
勝海舟
↑の理由で作られたのが、大阪府島本町の
高浜砲台なのです(^^)
先日のNHK「その時歴史が動いた」で取り上げられました。
第273回 35年・・・心のままに生きてきた
思い残すことは何もない
土方歳三
「天まであがれ!」(木原敏江先生)の作品のセリフ。
本当の本当に死にゆく土方さんの胸の内です。
第274回 彰義隊です 岸島芳太郎
明治になってから、原田左之助の妻「まさ」のところに
一人の男がやってきました。彼の名は「岸島芳太郎」。
彼は左之助の戒名を書いた紙を差し出し、左之助は
彰義隊の戦いで亡くなった・・・と継げたのでした。
第275回 新選組にては原田左之助、大石鍬二郎、
岸嶋芳太郎、芝岡万助、三浦常三郎
右の人々深手負い
永倉新八
274回で紹介した岸島芳太郎の名前は、
永倉新八の「浪士文久報国記事」の中にも出てきます。
↑は、油小路事件の部分です。
第276回 近藤・土方両先生の死は
堪え難き事にて候
沖田総司
演劇集団キャラメルボックス「風を継ぐもの」からの引用です。
沖田さんの手紙を読む岡田さつきさんが素敵でしたね・・・。
シアタードラマシティでは毎日通いました!(><)
第277回 姉さま、やっぱりこの縁談
なかった事に出来ないかしら
沖田キン
(中野キン)
「風光る」(渡辺多恵子先生)の中からの一節です。
弟宗次郎を思うお姉さんの気持ちが伝わりますよね〜(^^)
第278回 自證院本覚信士 谷万太郎 本伝寺過去帳
新撰組隊士谷万太郎の菩提寺である
本伝寺の過去帳に記載されている戒名。
一般的には、墓碑に刻まれている「自證院本覚日遊居士」が
知られています。
第279回 決テ私ヲ槍ニテ突ハ被成間敷キ
私モ突レハ不致
麻田時太郎
明保野亭事件の話。
槍で突かれた麻田時太郎のセリフです。
この瞬間の詳細は、諸書により微妙に、あるいは
はっきりと違うんですよね。
第280回 侍がすることじゃ
あるまいがねぇ
沖田総司
「壬生義士伝」(浅田次郎先生)の中の沖田さんのセリフです。
夏祭で、太鼓をたたいている斎藤さんを見て言ったもの(^^)
第281回 いで我往きて隊士の罪を
そそがでおこうか・・・
土方歳三
明治2年5月11日・・・
戦場に出陣する土方さんの最後のセリフです。
「新選組」(黒鉄ヒロシ先生)より引用しました(^^)
第282回 阿弥陀寺内墓田寄附
若松外発起人総代
藤田時尾
会津若松市の阿弥陀寺内の会津戦争戦没者慰霊碑の
墓田を買うために寄附を募りましたが、その発起人と
なったのが「藤田五郎の妻」時尾でした(^^)
第283回 ・・・・・・・ 加納惣三郎
司馬遼太郎先生の「新選組血風録」の中の
「前髪の惣三郎」の最後のセリフです。
一体、なんと言ったのでしょうね〜(^^)
第284回 何もいうな。みんな忘れちまえ。 稗田佐五七
「壬生義士伝」(浅田次郎先生)の中の、稗田利八の
父の言葉。
戊辰戦争を終え、何年かぶりに帰ってきた息子を抱きしめ
このセリフを言いました(^^)
第285回 我を斬り 刃鍛えて幾星霜
子に恨まれんとも孫の世のため
新井赤空
子の時代に叶わなくても、孫の世にはきっと・・・・
そう思う「父」の言葉ですね(^^)
「るろうに剣心」(和月伸宏先生からの引用です〜!
第286回 新撰組同士・東京ニテ病死・阿部隆明 永倉新八
篠原や三樹三郎も知らなかった阿部の最期ですが、
なぜか永倉さんは知っていました!(><)
第287回 君と親の重き恵みに比ぶれば
千引の石の責めはものかは
武川信臣
会津藩家老梶原平馬の実弟、武川信臣の歌です。
第288回 最後にすまん、と
言ったような気がする
土方歳三
土方さんの声が聴けるテレホンサービスの最後のセリフです。
やけにエコーのかかった声ですが(笑)。
第289回 私は九つでした 沖田総司
「ピースメーカー」(黒乃奈々絵先生)から引用です(^^)
鉄之助に刀を持たせないようにする土方さんに対して、
私は九つで刀を持ったのに・・・という沖田さんです。
第290回 それにしてもヒトの首というものは
重かものごわすな
有村次左衛門
黒鉄ヒロシさんの「暗殺」に出てくるシーンです。
有村が抱えている首とは、もちろん井伊大老の首です。
第291回 刀身が曲がり申して、鞘に収まらねのす 吉村貫一郎
「壬生義士伝」(浅田次郎先生)の冒頭部分。
南部藩蔵屋敷にたどり着いた吉村に、大坂詰めの藩士が
「刀をとにかく納めるように」といったのに対しての、
吉村の言葉です。・°°・(><)・°°・。
第292回 勢欲飛 近藤勇
旧知の富沢の扇子に揮毫された言葉。
近藤さんの熱い想いが込められています(^^)
第293回 ほう 近藤勇
「燃えよ剣」(司馬遼太郎先生)から、近藤さんのセリフ(^^)
黒谷のあまりの立派さに思わず感嘆したものです。

実際、黒谷は本当に立派です〜(^^)
第294回 俺は下戸だ 四乃森蒼紫
ず〜っと暗かった蒼紫が、とうとう心を開いた言葉。
まあ、この後も暗かったんですけれどもね(^^;)
第295回 家里次郎と申すもの
大坂において切腹いたし候
近藤勇
家里次郎は、壬生浪士結成時のメンバーです。
芹沢派5名近藤派8名以外にも、江戸帰還せずに
京に残留した人はいたんです。

しかし、結成まもなく家里は切腹することになります。
そのことを故郷に宛てた手紙に書いたものです。

・・・切腹させたのは、近藤・芹沢派によって・・・だそうですが(^^;)
第296回 沖田さんが死ぬ前に、俺が死ぬ。
それが俺の仕事だ!
立川迅助
演劇集団キャラメルボックスの名作「風を継ぐもの」の中の
新撰組隊士立川迅助のセリフです。
そして、沖田さんは「近藤・土方両先生よりも先に死ぬこと」が
自分の仕事だと思っているわけです(^^)
第297回 伊藤鉄五郎 行年二十九
山城京の産にして、新選組へ同志しのち
会津に来り司令士の任を蒙り
白川口辰五月朔日、攻城のとき戦死す
中島登
中島登の「隊士絵姿」による、伊藤鉄五郎の事跡。
会津入り後すぐの白河戦争で戦死。
第298回 三樹三郎、加納道之介、富山弥兵衛、
早天ニ大久保一蔵ヘ来リ。
中村半次郎
油小路の変の後、薩摩藩に身を投じた御陵衛士のメンバーが、
中村半次郎の日記に記録されていました。
第299回 おれも一生で
九人も女房をかえたほどの男だが
今度はいけないらしい
近藤周斎
「燃えよ剣」(司馬遼太郎先生)の中の一節。
隊士募集のために江戸へ下った土方さんに、
天然理心流三代目「近藤周斎」が言ったセリフです。

土方さんも近藤さんも沖田さんも、師の死には立ち会えませんでした。
第300回 女々しい思い出なんざ
腹の足しにもなりゃしねえからな
土方歳三
「風光る」(渡辺多恵子先生)の土方さんのセリフ。
「女々しい思い出」とは、山南さんとのことです。

土方さんの生涯を知っている我々からすれば、
このセリフは非常に、物悲しいものがあります。
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