久米部正親

生年 天保12年4月17日
出身地 大坂
役職 平隊士→見廻組並、伍長、軍目(会津戦争)
略歴 大坂天満の与力の子として生まれる。

慶應元年7月までの京坂における隊士募集に応じて入隊し。同年7月には伊東甲子太郎らとともに奈良潜伏の浪士捕縛に向かい、戦闘となって足に負傷をした。

慶應3年の幕臣取り立てでは見廻組御雇の格を受け、のちに伍長。慶應4年の鳥羽伏見の戦いを経て江戸に帰還。甲陽鎮撫隊の敗走後、江戸今戸から負傷者を会津に移送するために先発した。

会津戦争では軍目をつとめ、8月の母成峠の敗走後は、仙台に向かう本隊とは決別して、如来堂守備中に襲われ、死亡したともされたが、脱出に成功。銚子において、池七三郎らとともに捕らえられた。このときに「猪野豊之助」を名乗り、のちに「猪野忠敬」に改名する。

東京に護送され、謹慎後は陸軍に出仕。明治12年には中尉となり、明治19年に退官。
事件 鳥羽伏見の戦い、甲州戦争、会津戦争
最期 明治43年9月25日仙台の自宅で死亡
墓所 専念寺墓地
一言メモ 銚子で捕まる様子は、子母澤が稗田利八(池田七三郎)から直接取材をしています(・・・どれだけ脚色がされているかは不明です)。

専念寺・・・宮城県白石市中町53

夕方の4時に行ったので
綺麗に撮影することは
無理でした(^^;)。

専念寺墓地の
久米部正親の墓碑です。

こちらの若住職さんは、
私の大学の後輩でした(^^)

専念寺墓地は、専念寺から車で5分ほどのところにあります。専念寺の境内ではありません。

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