――聖しこの夜 星は光り
すくいの御子は 御母の胸に
眠りたもう いとやすく――
12月25日――旧世紀には意味を持ち、世界中で祝われたその日。
けれど、セカンド・インパクトからこっち、その日を祝う人はいなくなった。なぜなら・・・。
Written by 柏崎夢乃
――Silent Night、Holy Night・・・
マヤさんが低く口ずさんでいる、聞いたことのない歌。ゆったりしたメロディは、どこかしら懐かしい感じがする。
「マヤさん?」
「え?」
マヤさんは、僕に気づいてバツの悪そうな顔をした。
「・・・聞こえちゃった?」
あんまりきまり悪そうなので、僕までそんな気分になってしまった。
「すいません」
「・・・いいのよ。私こそごめんなさいね。気を使わせちゃって」
「その歌は?」
「え?」
「今、歌ってたやつ」
マヤさんは少し微笑んだ。苦笑したのかもしれないけど。
「ああ、今の歌? 『聖しこの夜』っていうの・・・賛美歌よ」
「賛美歌?」
「キリスト教で神様を讃える歌のこと。今日はクリスマス・イヴだって思い出したから・・・」
そう言って、マヤさんは懐かしそうな、すこしせつなげな顔をした。
「・・・?」
「クリスマスってね、イエス・キリストが生まれたとされてる日・・・だから、キリスト教では重要なお祭りの日だったの。その前日がクリスマス・イヴって言って、その夜は家族で過ごしたわ・・・ごちそうを作って、ケーキを切って――パパとママがいて・・・」
最後は独り言のように小さな声だった。
「マヤさん、」
「――ごめんなさいね」
さりげない動作で、マヤさんは浮かんだ涙をぬぐった。聞いてはいけないことを聞いたのかも知れないと、僕の胸が痛くなる。
「ちょっと思い出しちゃっただけよ。シンジ君のせいじゃないからね」
「・・・」
「シンジ君、サンタクロース、って知ってる?」
いきなり変わった話題に、驚いてしまう。
「知らない?」
「――クリスマスに関係あることですか?」
「当たり。サンタクロースはね、イイコにしてるとプレゼントをくれるのよ。クリスマス・イヴの夜にね」
「――迷信でしょ?」
マヤさんは今度こそ本当に苦笑した。
「そうよ。でも私、小さい頃は信じてたの・・・サンタクロースが、本当にいるって」
マヤさんは夢見るみたいな目をしていた。そして、微笑みながら僕を見てこう言った。
「シンジ君、あなたもサンタクロースになれるわ・・・一番大事な人の、サンタクロースにね」
「?」
「サンタクロースがもたらすのは『幸せ』なのよ。大人になってから判ったわ・・・人は誰でもサンタクロースになれるって。
・・・だから、レイちゃんのサンタクロースは、シンジ君しかいないわ」
大人になりかけの僕にも、マヤさんの言いたいことがおぼろげながら判ったような気がした。でも、こんなにきっぱり他の人に断定されてしまうと、なんだか気恥ずかしい。
「さ、見習いサンタさんはプレゼントを配達に行ってらっしゃい。私はもう少し仕事があるし、私だけのサンタクロースはまだどこかで居眠りでもしてるんだわ、多分ね」
――僕は、もしかしたら真っ赤になっていたのかも知れない。
12月25日。たしかに僕の記憶にある限りは、何か特別なことをした思い出はない。クリスマスがどういうものか判らなかったの で、NEO−NERVの端末で資料をあたってみた。
『クリスマス:12月25日。イエス・キリスト生誕の日とされ、キリスト教の祝日。また、その前日、クリスマス・イヴの夜にはサンタクロースと呼ばれる老人が子供にクリスマス・プレゼントを配るともいう』
画像データには、旧世紀のその日の様子が記録されていた。モミの木をきらきら光る電飾や細かな人形や小物で飾り付け、街中が華やかな雰囲気に包まれている。クリスマスケーキ、ローストチキン、シャンパン――そういうことをしたことのない僕にはいまいちピンとこなかったけど、この日が旧世紀の人々にとって大事な日だったということはよく判った。
「あ!」
『サンタクロース』
赤い服・赤い帽子・黒いブーツに白い豊かなヒゲをたくわえた老人が、大きな袋をソリ(雪の上を走るのに使う乗り物らしい)にのせ、トナカイという少し馬に似た動物(大きなツノがあるけど)がそれを引っ張っている。
セカンド・インパクトは人間から信仰というものも奪ってしまったのだと、今さらながら僕は気づいた。僕が知っている限り、キリスト教という言葉や『神』という単語がおおっぴらに口にだされることはほとんどないどころか皆無といってもいい。
――何しろ、僕たちがEVAに搭乗って闘っていた相手は『使徒』=天使の名前を持った『別の可能性』『神の御使い』たちだったのだから。
旧世紀の人たちは、ずいぶんこの『クリスマス』を楽しんでいたらしい。さっきマヤさんが歌っていた『聖しこの夜』をはじめ、たくさんのクリスマスソングと呼ばれる曲があったことも列記されていた。
音声ファイルが揃っていたので、いくつか試聴してみる。マヤさんの歌っていたような賛美歌をはじめ、クリスマスをテーマにしたポップスやラブソングなど――ほんとに、旧世紀の人たちは『クリスマス』を心から楽しんでいたんだ・・・宗教とか信仰の域を越えて、かかせない年中行事として・・・。
クリスマスに関する記述を読むうちに、なんだか綾波のことばかり考えている自分に気がついた。恋人同士や親しい友人の間でプレゼントを交換するという習慣の記述を目にした時、僕はさっきのマヤさんの最後の言葉の意味が判った。
綾波と同居を始めてしばらくになるけど、そういえば何かプレゼントしたことってなかったような気がする。それに、考えたら、綾波には誕生日さえ・・・。
「綾波に・・・何か贈りたいな」
そう思い始めると、是が非でもプレゼントを贈りたくなった。自分の単純さに苦笑しながら帰り支度をし、廊下を走る。
「・・・何を贈ろうかな・・・」
綾波が欲しがりそうなものなんて、およそ考え付かない。でも、だからこそ・・・。
何を贈ろうかと考えながら商店街のアーケードを歩く。洋服? 小物? それとも本? そういう目で見ると、ウインドウの商品の全てが新鮮に見えて来る。彼女に似合うか、喜んでくれるか、ずっと心から大切にしてくれるか・・・。
自分のこんな気持ちが嬉しくて、ひとりでにやついてしまう。そうか、だから旧世紀の人たちはこの日にプレゼントの交換をしたんだな、と納得した。その人のために、その人が喜ぶ顔が見たくて、一生懸命考えてプレゼントを選ぶ。そして本当に喜んでくれたらどんなに嬉しいか。
「・・・」
宝飾店のウインドウが目に入った。
「ちょっとだけ」
自分にそんな言い訳をしながら、自動ドアをくぐる。
「いらっしゃいませ」
きらきら光るショウケースの中――金色、銀色、色とりどりの宝石たち。どれも彼女によく似合いそうで、目移りしてしまう。
「贈り物ですか?」
「――え? あ、はい」
「彼女さんに?」
なんだか照れくさい。僕だってもう17なんだから、恋人(!)に装身具を贈ってもそれほどおかしくはないはずなんだけど・・・僕自身の認識があんまり進歩していないせいなのかな。
でも、綾波が僕にとって大切な――そう、生命に代えても護りたい存在であることは確かだ。いつもそばにいたい、この手に抱きしめていたい、大切な――。
「・・・はい」
そう、もっと自信を持ちたい。胸をはって、綾波の恋人(・・・ちょっちキザかも・・・)だと言える自分になりたい。彼女の紅い瞳が僕だけを見つめていてくれるように――。
改めてショウケースをのぞき込む。ルビー、ダイヤ、エメラルド・・・どれも似合いそうな気がする。
紅いルビーは、綾波の瞳の色。きっとよく似合うと思うけど、綾波は紅い色が好きじゃないんだった。自分の紅い瞳が嫌だ、と前に言っていたっけ。とても綺麗だと思うのに。
ダイヤは・・・まだ早い気がする・・・。
エメラルド、サファイア、トパーズ、アメジスト・・・綾波は色が白いから、どんな色の宝石を身に付けてもきっとよく映えると思う。でも、綾波の紅い瞳を引き立ててくれるような宝石でなきゃ、贈る甲斐がない。
「!」
ショウケースの隅に飾ってあったその宝石に、僕の目はくぎ付けになってしまった。
『月・・・?』
蒼い月の光を集めて結晶化させたらこうなるのではないか、と僕は思った。宝石のことはよく知らないけど、その蒼い石は、ダイヤのように鋭角のカットではなく、なめらかに丸く磨いてあった。
「あの、これは?」
店員がショウケースを開け、黒いビロードの台の上にその宝石のはまったプラチナのペンダントを置いて見せてくれた。
『不思議な宝石だな』
その宝石は、間近でよく見ると水滴のように透明だった。けれど、蒼くはかない光がゆらゆらと石の中心に踊っていて、角度によってその輝きが違って見える。僕は一目でその光に魅せられてしまった――そう、それは本当に彼女に似ていたから。
「この宝石は、ブルームーンストーン(蒼月輝石)っていうんですよ。普通の月長石(ムーンストーン)とは成分も生成も異なる別の石なんです。あまり数が出ないので、御存じの方はあまりいらっしゃらないですけど」
プラチナの台にはめ込まれたその宝石の輝きは、見れば見るほど綾波を思い出させた。どうしても綾波がこれを付けているところを見たい。僕の中の子供じみたわがままが、僕の良識とか理性とかをどこかへ押しやってしまう。
ちらっと値札を確認すると、想像していたほどの値段ではなかった。とはいえ、一介の高校生の小遣いではとても手のでない額だ。今の手持ちの金額と、今月のカードの限度額(生活費込み)の残高を素早く計算する――ううん、かなりキツそうどころか、やっぱりムリかな・・・。
「・・・」
僕の手は勝手に携帯を取り出し、めったにかけない直通ナンバーの短縮コードを押していた。
『――冬月だが?』
「お仕事中すいません、シンジです」
『おや、どうした? 珍しいな』
「あの・・・お願いが・・・」
『何だね?』
冬月司令の声が笑いを含んでいる。僕にとっては、実の父より父親らしい人。
「大きな買い物をしたいので、カードの限度額を解除してほしいんです」
『おやすい御用だ。すぐに解除させる・・・10分もあれば充分だろう』
「すいません」
『いや、シンジ君がそうまでして欲しいと言うものなのだから、ばかな買い物はせんだろう? そうでなくとも、そもそもは君の財産なのだからね』
穏やかな笑い声とともに電話は切れた。僕はつめていた息を大きく吐き出して、『いいのか?』とまだ心の隅っこで小さな声を上げている僕の理性を無理矢理ねじ伏せる。だって、僕から綾波への初めてのプレゼントだから・・・。
限度額が解除されるまで、ショウケースを眺めることにした。気持ちが少し落ち着いたので、客観的な目でケースの中味を見ていく。
「・・・」
銀の指輪が目に留まった。何か文字が刻み込まれている。
「・・・『Liebe』?」
ぼくの声に気づいた店員が、その指輪をだしてくれる。表面に流れるような書体で『Liebe』と彫りつけてある以外は、ごくごくシンプルな銀の指輪。
「これはポージィ(Posy)・リングと言って、誓いの言葉を刻み込んであるんです。この文字はドイツ語ですよ」
「ドイツ語?」
「英語で言えば『Love』ですね」
「・・・はあ・・・」
聞いてから、思わず僕は赤くなってしまった。今日の僕は、自分でもいささか暴走気味だと思う――いつもはこんな無駄遣いしたりはしないのに・・・さっき限度額の解除を頼んでから、僕の理性は沈黙してしまった。その指輪から目が離せない。ケンスケがいつだったか自慢げに見せびらかしていたのを思い出したせいだろうか。
『お揃いで作ったのさ』
ミリタリーマニアで、およそそんなロマンチックなことなど考えそうにないケンスケなのに、銀の指輪を大事そうに鎖に通して首から下げていた。彼女と自分の名前を彫りつけてもらったって言ってたっけ。
限度額を解除・・・本来は緊急避難的な場合であったり、大きな耐久消費財を買ったりする時にあくまでも例外的に認められる措置だ。
そして、正当な理由でないと判断された場合は、結構大きなペナルティがつく――翌月以降3ヶ月、限度額の枠を2/3にされてしまうのだ。その限度枠の中には当然ながら学費や生活費が含まれているので、まっ先に削られるのは小遣いの部分になる。
必要でない無駄遣いを戒めるために、僕の今の保護者である冬月司令が考えたことだ。そして、その使い道が正当かどうかを最終的に判断するのも冬月司令だ。
今までの所、新しいフラットに家財道具を揃えた時と、チェロを買った時ぐらいしか限度額の解除を申請したことはない。僕のチェロはジャジメント・デイの一連の破壊によって紛失(というよりは破壊されたといったほうが正しいだろう)してしまったのだ。
そもそも慎重な性質(だと言われている)僕は、およそこのテの無駄遣いをしたことはほとんどない。だから冬月司令もあっさりと限度額を解除してくれたのだけど、こんな買い物をしたことが判れば、今後は厳しくなるだろうな。
―― P i r r r r r r r r・・・・・・――
「――シンジですが?」
「冬月だが、今、解除させた。もう決済しても大丈夫だ」
「・・・すいません、お手数をかけて」
「いやいや。何を買う気かは知らんが、君の慎重さを信じているよ」
そこで電話は切れた。何か言い訳をしなくてはならないかと覚悟していたのに、内心拍子抜けしてしまう。
「はあ・・・」
ため息。でも、いいんだ。
「この指輪、サイズは?」
「これは男女ペアでしていただけるように、ちょうど各サイズが一本ずつ在庫してございます」
差し出されたテストリングを左手の薬指に通してみる。僕が指輪をするとすれば、この指だけにしようと昔から決めてたんだ。本当に好きになった人と、おそろいの指輪をするって・・・。