過去の「お気に入り」201回〜250回

〜50 〜100 〜150 〜200 〜250 〜300 301〜
第201回 動かねば闇にヘだつや花と水 沖田総司
沖田さんの辞世?といわれる句です。
第202回 角屋徳右衛門不埒によって
七日間謹慎をもうしつけるとさようにもうせ
芹沢鴨
芹沢さんが角屋に日頃から不満を持っていて、ついにキレちゃったんです。
現在も角屋には、新撰組隊士によってつけられた刀傷があります。
第203回 どうだ、斎藤、俺に譲らんか、
君は目が利くからまたすぐ掘り出せる
近藤勇
斎藤さんが夜店で見つけてきた刀を気に入った近藤さんのセリフです。
その刀が虎鉄だったんですかね〜。
第204回 一本木鶴岡町土方討死 沢忠助
土方さんの死亡地の候補は、(1)一本木関門。
(2)鶴岡町。(3)異国橋・・・の3つあります。現在では
ほぼ(1)に確定されています〜♪
第205回 右肩を下にして寝るのがいいか、
左を下か、或いは仰向けに寝るか
篠原泰之進
篠原の遺談。敵襲への対抗策として、その方法が
有功か・・・とみなだ談じていたそうです・・・ただし、
「敵」とは新撰組なんですよね(^^;)
第206回 同夜葬送之節も右の五人、
墓所迄相送呉一同落涙いたし候
柴幾馬
柴幾馬の弟の「柴司」の葬儀に出席した五人は、
土方歳三、井上源三郎、武田観柳斎、浅野薫、河合耆三郎です。
第207回 愍む可し患者の大半は
水牢に鬼籍に入りしとぞ
高松凌雲
箱館戦争の「医聖」高松凌雲先生の言葉です。
旧幕軍兵士が、松前藩に捕虜として囚われている際、
なんと水牢に入れていたそうで、彼らが病院に運ばれて
来たときには、もう水脹れでひどい状態でした。
外国で、「赤十字」の精神を学んできた凌雲先生は
激昂しました。(愍む=あわれむ)
第208回 俺だ、俺だ 土方歳三
「壬生義士伝」(浅田次郎先生)より♪

天満屋で三浦休太郎を新撰組が警護中、ついに敵が討ち入ってきました。
警護メンバーは斎藤さん、土方さん、永倉さん、原田さん他・・・・
部屋は真っ暗闇に・・・

敵の1人が斎藤さんの首を絞めてきました。
斎藤さんは慌てずに、足を払い敵を倒し、刀でとどめとさそうとすると
その敵は言いました・・・「俺だ、俺だ」・・・土方さんの声でした(^^;)
第209回 幸せだったんだよ・・・
大好きな仲間と・・・君に会えた
沖田総司
う〜ん。・°°・(><)・°°・。
この言葉に、沖田さんの人生が集約されているんじゃないでしょうか?
「天まであがれ!」(木原敏江先生)からの引用です(^^)
第210回 私は南部の武士だれば、たった一人でも
この旗ば背負って戦い申す。
二十万石ば、二駄二人扶持にて背負い申す
吉村嘉一郎
足軽の子、脱藩者の子・・・。それゆえに、苦労し続けた嘉一郎の
意地ですね。惨憺たる箱館戦争の最後に、見事に戦った
吉村貫一郎の息子、嘉一郎のセリフです。
出典は、もちろん!「壬生義士伝」(浅田次郎先生)です!
第211回 走り続けてた 立川迅助
ただ足が速い・・・迅助は決してそれだけの男ではありません。
全力で幕末の激闘時代を生き抜いた、男の・・・・
明治になってからの、叫びですo(≧ヘ≦o) 
舞台「風を継ぐもの」(演劇集団キャラメルボックス)からの引用です!
第212回 近藤ト云者思慮モナキ痴人ナリ 根岸友山
根岸友山の、きつい一言ですね(^^;)。
この人、近藤さんだけでなく、芹沢さんにも文句を言ってます(笑)。
第213回 それにしても暑いよなあ。
代わりに鎖の着込み脱ぐか
原田左之助
「風光る」(渡辺多恵子先生)から、左之助のセリフです(^^)
池田屋事変前に待機中で、思わず言っちゃったんですよね〜
ちなみに「羽織の代わりに」着込みを脱ぐ、と言ってるんです(笑)
第214回 奇矯妖怪不思議の説を申すべからず 軍中法度
禁門の変の際に、初めて用いられたとされる、
軍中法度に添えられている一文です。いつの時代も、
オカルトのせいにしちゃう人がいたんですね〜もちろん、
私はオカルト大好きですけどね(^^;)
第215回 此者は沖田よりは
チト稽古が進んでいました。
阿部十郎
新撰組隊士で御陵衛士として分離した、阿部十郎の
談話。彼曰く、剣の腕は「永倉>沖田>斎藤」の
順番であった、と。
第216回 何よりの証拠は、
左の肩の鉄砲傷の痕です。
近藤勇五郎
近藤勇五郎が、近藤勇の遺骸を掘り出したときの談話です。
近藤勇の鉄砲傷は「右」なので、間違えて他の人の遺骸を
運んだのか、それともこの話がフィクションなのか・・・(^^;)
第217回 ぐうとないと 篠原泰之進
篠原の覚書に出て来る言葉です。黒鉄さんの「新選組」の
最終回でも、篠原は叫んでますよね!!!(><)
第218回 だから俺は今こそ強く
ならなきゃならねェ
相楽左之助
漫画「るろうに剣心」からの引用。
左之助と相楽隊長の、魂の絆・・・ですね(^^)
第219回 ようがす 沖田総司
今、こんな言葉を話すと、・・・他人の振りされそうですよね(^^;)
ようがす・・・(^^;)今年の流行語大賞を取って欲しいですね!
第220回 山浦鉄四郎といえる者は殊に其数年前
一時新撰組に入りたることもあり。
小山正武
史談会速記録の中にある、小山の談話。
西周の塾で、小山と山浦は知り合いだった。
第221回 百礼之会非酒不行 小原鉄心
鳥羽伏見の戦いの時点で、幕府軍だった大垣藩の藩論を
恭順に変えた、小原鉄心・・・。彼が書いた屏風の文句です。
第222回 天裁に就き自余の者の
寛大なる処分を冀う外あるまじ
大鳥圭介
箱館政府が降伏する際の、大鳥さんの心境を
後に書いたものです。
第223回 また多摩石田村の人。
土方義諄の第四子なり。
両雄士伝
土方さんの生年について、書きました。
土方さんの生年は、享年から計算したものです。
第224回 道男逸郎利郎康郎
成長ノ時被見イタス様
永倉新八
永倉さんの「七ヵ所傷手負顕ス」の末尾・・・
自分の身体にある七ヵ所の傷について顕したものを
孫たちに見せてくれるように、書き残したものです。
第225回 新撰組隊長近藤勇は
そんなやさ男ではないぞ
奥田松五郎
とっても素敵な奥田松五郎さんのお言葉(^^)
さすが自称新撰組隊士兼自称西郷私学校柔術師範!
第226回 ねぐらは松前城ときめよ。
城を取るか凍死か、どちらかだと思え
土方歳三
「燃えよ剣」(司馬先生)の松前攻略作戦のシーンです。
管理人は、ついに松前の地を踏みましたよぉ(^^)
第227回 其処へ備中松山の藩で、
谷万太郎と云ふものがございます
阿部十郎
史談会速記録の中からの一文です。
新撰組隊士の阿部十郎が、自分がいた道場の主で
同じく新撰組隊士だった谷万太郎について語ったものです。
第228回 好きなんですよ、かけそば 藤田五郎
江戸っ子はやはり蕎麦なんでしょうか(^^)
私は蕎麦よりもうどんよりもラーメン派です。
第229回 「・・・・・・・・(はい)」 沖田総司
演劇集団キャラメルボックス「風を継ぐもの」の中の
最後の最後の・・・本当に最後の沖田さんのセリフです。
客席の前方左側に座ってる人しか聞き取れない(^^;)
本当に小さな声でした!
第230回 いずれの同志も
その志や良し!
芹沢鴨
「あさぎ色の伝説」(和田慎二さん)からの引用です(^^)
芹沢さんが知り合いに出した手紙なんです。
新撰組に入隊してくる同志の志を誉めているのですが、
この後、すぐに暗殺されることになります。
第231回 会津を死に場所と心得まするゆえ 斎藤一
「壬生義士伝」(浅田次郎先生)さんの中の一節。
北へ向かう土方さんと別れ、斎藤さんは会津に残りました。
「なぜ、土方と行かないのか?」そう問い掛ける容保公に対して
斎藤さんはこう答えました。
彼は明治以降も「会津藩士」として生きていきます。
第232回 もしかすると、とことんまで
おれにつきあってくれるのは
この男かもしれない・・・
土方歳三
「新選組の哲学」(福田定良さん)の中にある「斎藤一の訓話」から。
斎藤一の「武士道」について、彼自身の口から語られるのを聞いた
土方さんが、思わず心の中でつぶやいた言葉です(^^)
第233回 まあ見てなよ
二年や三年はもってみせるからさ
沖田総司
「無頼魔都覚醒」(岩崎陽子さん)の中の沖田さんのセリフです。
余命一年・・・そう宣告された沖田さん。それを心配した斎藤さんに
いったセリフです。
第234回 機を見て話してくれないか 土方歳三
男色の道まっしぐらの武田観柳斎へ、機会をうかがって
注意してくれないか・・・と篠原泰之進にお願いした土方さん。
武田と馬越三郎との話は今ではフィクションとされてますが、
「武田=男色」という刷り込みをされてしまった私です(^^;)
子母澤寛の「新選組異聞」からの引用です。
第235回 辻風にまけて
まがるな今年竹
春日庵盛車
新撰組隊士土方歳三と井上源三郎への想いを込めて
春日庵盛車=佐藤彦五郎が詠んだ句です(^^)
第236回 ふるさとへ
向かって急ぐ五月雲
土方歳三
「燃えよ剣」(司馬遼太郎先生)に出て来る、土方さんの句です。
第237回 清原、今日を限りと決心し、
賊兵間近く進んで砲戦す
篠原泰之進
「秦林親日記」で、篠原が書いた、同志清原清=竹川直枝の
最期の様子です。
第238回 一口にいうと、
頼み甲斐ある人物であった
福地桜痴
福地が明治になってから、近藤さんについて語った言葉。(^^)
第239回 どうもほら吹きで困るよ 勝海舟
勝海舟が、後に語った談話「氷川清話」から(^^)
佐久間象山のことを語ったものなんですが・・・(^^;)
象山先生は偉大な人なのにぃぃぃ(涙)
第240回 これは処刑だ。処刑に
怪我人を出すことはあるまい。
近藤勇
新選組血風録の中の「芹沢鴨の暗殺」の中のセリフ。
「燃えよ剣」の近藤さんとは一味違った「キレ」のある近藤さん。
私は好きです(^^)
第241回 むなしく討死いたし候よりは
むしろ一ヵ所の台場を引き受け
決戦致し申すべく
中島三郎助
中島三郎助が死を覚悟し、妻宛てに書いた手紙の中の一文。
一ヵ所の台場=千代ヶ岡台場です。
第242回 一、同三両也 井上源三郎賊相手節渡 金銀出入帳
鳥羽・伏見の戦いを目前にした、伏見奉行所滞在時に
「賊」を相手に戦った源さんへの報奨金です。この事件の
二週間ほど後に、源さんは戦死します。
第243回 三十二年所何事 浩然正気臆間存
生前遂無雪君冤 一片丹心答国思
大石鍬次郎
大石鍬次郎の辞世と伝わる歌です。
第244回 益荒男の七世をかけて誓ひてし
言葉たがわじ大君のため
藤堂平助
藤堂さん作と伝わる和歌です。
第245回 オレはなんと言っても
一流と呼ばれる剣客になるのが夢だな
藤堂平助
「無頼」(岩崎陽子さん)の藤堂さんのセリフ。
このときの藤堂さんは、まだ20歳なんですよね・・若い!
第246回 大久保大和、改て近藤勇 加納通弘
板橋に出頭してきた「大久保大和」に対して、元新撰組隊士の
加納が、彼の正体を暴いた瞬間のセリフです。
このとき加納は、近藤が処刑になることを望んでいたのでしょうか。
第247回 何卒公然母と呼ぶことの
出来るように御配慮願います
佐久間象山
佐久間象山の生母は、身分が低く公然と父国善の「妻」と
名乗ることが出来なくて、「妾」という状態で、幼少の佐久間は
生母を呼び捨てにしなければいけませんでした。
ある日、藩主真田幸貫から「何か褒美をやろう」と言われた
佐久間が、「それでは・・・」とお願いしたのがこれです(^^)
第248回 斎藤は二、三人を引き受けて
とくいの突きでバタバタかたづける
永倉新八
「新撰組顛末記」の中にある記録で、天満屋事件のときの
斎藤さんの活躍を説明しているものです。
「得意の突き」とありますね(^^)。「新撰組顛末記」の記述に
どれほどの信をおくかはともかく、やっぱ斎藤さんは突きだよな〜と
思わせてくれますね(^^)。
第249回 おめえが信用できるかできないかは、
これから見せてもらうんだ
土方歳三
「無頼」(岩崎陽子さん)の中の土方さんのセリフ。
「おめえ」とは、山崎さんです〜!!!
まさか、その後の付き合いが幾年にも及ぶとは、彼ら自身も
想像してなかったでしょうね〜(^^)
第250回 お前が欲しいのは
「身分」か「誠」か!?
近藤勇
「風光る」の近藤さんのセリフです(^^)
ままならない自分の人生に苛立つ土方さんへの言葉です。
歳さんにこういうことを言えるのが、近藤さんの魅力ですよね!
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