過去の「お気に入り」301回〜

〜50 〜100 〜150 〜200 〜250 〜300 301〜
第301回 何事が起きても一切他言無用 相馬主計
新撰組最後の隊長、相馬主計の遺言です。
彼の最期は切腹だった・・・・・と伝わっています。
第302回 刀を握り候まま果ており候 鳥取藩慶應丁卯筆記
藤堂平助の最期を記した「鳥取藩慶應丁卯筆記」の一節。
慶應三年十一月十八日・・・油小路七条において短い生涯を閉じました。
第303回 歴史を書くつもりなどない 子母澤寛
「新選組始末記」の冒頭にある文章です。
全てはこの文章で始った・・・かな?(^^)
第304回 まっすぐだった。あいつは
いつでもまっすぐに生きていた
小金井兵庫
演劇集団キャラメルボックスの上演作品の「風を継ぐもの」からの引用です。

架空の新撰組隊士「小金井兵庫」「立川迅助」が繰り広げる
あまりにも感動的なお芝居です。
このセリフは、小金井が立川の生き様を語ったものです(^^)

あ、もう一人「三鷹銀太夫」という架空の隊士も出てきますね(笑)
第305回 わしが他人に頭を下げて
詫びることなど、あるはずもなかろう
斎藤一
小説「壬生義士伝」(浅田次郎先生)の中のワンシーン(^^)
本当にすごい性格の斎藤さんですね(^^;)

でも、この斎藤さん・・・最後には泣かせてくださいます(><)
第306回 陸軍奉行並 壬生浪人 土方歳三 函館一件
箱館時代の新撰組に参加した桑名藩出身の隊士の誰かが記録した
新撰組名簿に書かれた言葉です。
箱館に至っても、「壬生浪人」と書かれているんですよね〜(^^)

これについては、万代修さんの「新選組裏話(新人物往来社)」に
詳しく書かれています(^^)
第307回 イヤ山岡氏がさようにもうされるなら
われらも了見いたすでござろう
山南敬助
永倉さんの「新撰組顛末記」に出てくる、山南さんのセリフです(^^)

上洛時に山南さんは村上俊五郎ともめました。
とても怒ってた山南さんですが、間に山岡鉄太郎が入り
村上に詫びさせたので、山南さんも大人しくひきました(^^)
第308回 辛いなら代わるぞ・・・ 斎藤一
「風光る」に出てくる、斎藤さんの名セリフ(><)

沖田さんが芹沢さんを暗殺に行く際に、こう声をかけたんです(^^)
第309回 先は為御年玉奉申上候 土方歳三
土方さんの手紙の中の一節です(^^)
お年玉・・・とは、浪士組に参加することが決まって「禄」が
もらえる(であろう)ことなんですよね〜(^^)
第310回 裏切り御免!!!!!!!! 坂本龍馬
演劇集団キャラメルボックスの演目「裏切り御免!」の中のセリフです。
菅野さんが沖田役でないのは、今でも残念ですが(^^;)
第311回 先生によろしく 先生によろしく 山崎蒸
子母澤寛の「新選組物語」の中の一節。
死んでいく山崎さんの言葉ですが、もちろんフィクションです。
第312回 丈の高い方の人が、
一太刀で斬りましたが、見事な腕でした。
近藤勇五郎
近藤勇が処刑されるときの様子を子母澤に語った近藤勇五郎。
彼が見た「丈の高い方の人」とは、岡田藩士横倉喜三次でした。
第313回 私は、原田さんのような美男子にうまれ
あわさなくってよかったとおもいます。
吉村貫一郎
福田定良さんの「新選組の哲学」に出てくるこのセリフ。
壬生義士伝、以外にはあまり吉村の出てくる物語はないので
ちょっと取り上げてみました(^^)。
第314回 おまえのかわりにおれががんばるさ 井上源三郎
「天まであがれ!」(木原敏江先生)の中の、源さんのセリフ(^^)
「おまえ」とは、沖田さんのこと。
病んでいく沖田さんに対し、源さんは常に優しく接しました。
源さんの死の原因も、結局は沖田さんのため・・・だったんですね。
第315回 お前が弱いから悪いんだ 志々雄真実
「るろうに剣心」(和月伸宏先生)の中の一節。
幼き日の瀬田宗次郎に対しての志々雄の言葉。
この言葉が正しいものだったかどうか・・・その答えを求めて
宗次郎は旅立ちました。
第316回 東京府麹町区飯田町
士族松井八十五郎長女入籍ス
近藤勇五郎
除籍謄本
近藤勇の養子で、娘たまちゃんの結婚相手になった近藤勇五郎の
除籍謄本に書かれている一文。
松井八十五郎長女、とは近藤ツネさんのこと。
彼女に関しては、龍源寺の過去帳にも名前が記載されておらず
ほぼ「唯一の公的記録」と言ってもいいほどのものです。
第317回 祇園より寺町通り
大谷勇雄殿ニ遭、少々買い物
井上松五郎
井上源三郎の兄さん、松五郎の日記にある一節です。
松五郎が京にいたとき、寺町通で大谷勇雄という人物にあった・・・

というだけの文章なんですが、この大谷は後に新撰組に
入隊することになります(^^)
第318回 そう悪くはないかも・・・な 原田左之助
岩崎陽子先生の「無頼」の中の一節。
浅葱のだんだら羽織を見て、最初難色をしめしていた原田さんですが
斎藤さんの羽織姿を見て、言ったセリフです(^^;)
第319回 この歳三は、おそらく生涯、
恋など持てぬ男だろう
土方歳三
「燃えよ剣」(司馬遼太郎先生)の中の一節。
実際の土方さんはどうだったんだろうねぇ〜(^^)。

二月十二日は、司馬先生の命日です。
第320回 それでは賊名を帯びて死なねばならぬ
そんな人に仕えることは出来ぬ
大野右仲
唐津藩士であり、後に新撰組に加入した大野右仲のセリフ。
「そんな人」とは、唐津藩主小笠原長行のこと(^^;)
藩主に直接そんなことを言っちゃ、いけませんよ〜!
第321回 三浦常三郎、藤堂平助を打ちとめる。 永倉新八
永倉さんの手記の「浪士文久報国記事」の中の一節。
油小路の変の際、新撰組隊士三浦常次郎」が藤堂さんを
斬った、という話ですね。
この後、三浦は鳥羽・伏見の戦いで死亡したそうです。
第322回 おもさげなござんす、吉村先生 斎藤一
映画「壬生義士伝」からの引用です。
明治になってから、偶然に大野千秋の病院に行った斎藤一。
そこで出会った女医は、吉村貫一郎の娘でありました。
第323回 どんなコトがあろうと
君だけは絶対に斬ったりしない
緋村剣心
あまりにもせつないセリフですよね〜
和月伸宏さんの「るろうに剣心」の中のセリフです。
第324回 恐らく己の死にあっても
あの人は笑って逝くのだろうよ
斎藤一
「風光る」(渡辺多恵子先生)の中の一節。
「あの人」とは、沖田さんです。
第325回 菱屋ん事見限ってきたんえ お梅
再び「風光る」(渡辺多恵子先生)の中の一節。
女心は難しいものですよね〜(^^;)
第326回 近藤先生は弟には見込があるが
拙者には見込がないと見えて
一緒に京に残りたいといったが
どうしても許してくれなかった。
沖田林太郎
新選組始末記の中で、沖田総司の義兄「林太郎」が
語っております(^^)しかし、林太郎の剣の腕は十分なものだったそうですが・・。
第327回 春の夜はむずしからぬ噺かな 土方歳三
土方さんの「豊玉発句集」の中の句。
難しくない話ってどのようなものなんでしょうか(^^;)

そして春以外は難しい話をしていたのか?(^^)
第328回 我も加藤の如く出世したきものなり 近藤勇
島田魁の語った近藤勇像です。

加藤清正は、拳が口に入ったそうで・・・
それと同じことを近藤さんは出来たそうです(^^)
・・・私は無理ですが。
第329回 泣かねえで下んせ。
南部も会津もこたびの戦には負け申したが
決して賊軍ではござりませぬ。
原敬
「壬生義士伝」(浅田次郎先生)の中に出てくる少年。
斎藤一におにぎりを渡した彼の名前は原敬。
いずれは、文民宰相とよばれる人物になるんですよね〜!!!
第330回 用事を済ませてすぐに後を追う 原田左之助
左之助の、ある意味最後の肉声でしょうか。
慶応四年五月十七日歿。享年29歳。
第331回 池田屋で斬り捲くったときはかなり
疲れましたが、まだまだこの通りです。
沖田総司
「聞き書き新選組」(新人物往来社)の中に出てくる一節。
甲州戦争へ行く途中、佐藤家に立ち寄った際に見せた彼の
行動です。心配させないように、このように明るく振舞ったんです。
第332回 冗談じゃないよ・・・ 沖田総司
「無頼魔都覚醒」(岩崎陽子先生)の中の池田屋のシーン。
まさに喀血した沖田さんが思わずつぶやいたセリフです。
第333回 憂ひを隠さんに遣る所なく
隅々砲台に在りし日を思ひて記せり
大野右仲
土方さんとともに箱館で戦った大野右仲。
彼が謹慎中に書いた「函館戦記」の末尾に、こう記されていました。
第334回 死ねばむこうで会えるものかな 沖田総司
「燃えよ剣」(司馬遼太郎先生)の中の一節。

沖田さんが「会える」のかと期待するのは、彼の父です。
第335回 それは目出度い、目出度いことです。 土方歳三
黒鉄ヒロシ先生の「新選組」のラストのセリフです。
土方さんが「目出度い」というのは、榎本の明治になってからの
出世について・・・です。
本当にそう思うのか・・・微妙な土方さんの表情から
読み取ってください。
第336回 土方歳三、井上源三郎、武田観格斎、
河合孝三郎、浅野藤太郎、参り候て死骸を撫で
一同声を立て悲しみ申し候。
柴幾馬
柴司の葬儀に出席した際の、隊士の様子を記したもの。
微妙に名前が違っている人がいますが(笑)。
柴司の遺骸は、金戒光明寺(黒谷)の奥の会津藩墓地に
埋葬されました。
第337回 くさい!きたない!むさくるしいっ 高本貞司郎
「無頼」(岩崎陽子先生)からの引用です。
会津藩密偵(?)高本貞司郎が、新撰組に入隊し屯所内を見て
心の中で叫んだ言葉が、これです(^^;)

高本の正体は、実は女性で、将来の高木時尾です(^^)
第338回 橋本君、とどめを 原田左之助
司馬遼太郎先生の「新選組血風録」の中の左之助のセリフ。

お気に入りでは、この「橋本君」こと、橋本皆助を取り上げました。
第339回 真逆サマニ屋根ヨリ転ビ陥チテ
一言モナク死シタリ
西村兼文
西村兼文は、西本願寺の寺侍です。

彼が記録する「土方歳三の最期」です。
一般的に知られている土方さんの最期とはちょっと違いますね(^^;)
第340回 先生はなかなかハイカラでして
洋服を着て馬上です。
稗田利八
子母澤寛取材による聞き書きの中の、稗田利八の言葉。
稗田は「池田七三郎」の名で新撰組に入隊していた人物。
これは、甲州戦争に行く際の土方歳三の様子について
語ったものです(^^)ハイカラさんなんですね〜
第341回 これだけは言われん 奥田松五郎
奥田松五郎翁の若いころのエピソード。
ある有名な家の娘が万引きをしてしまった。
被害の店に金を払い、警察には奥田翁がとりなして
結局、娘は罪に問われることはなかった。
晩年に、その女性は誰だったのか?と問われて言ったセリフ。
やっぱ、奥田先生は面白いな(^^)
第342回 死不畏死
生不偸生
男児大節
光與日争
道之苟直
不憚鼎烹
渺然一身
萬里長城
雲井龍雄
雲井龍雄の辞世の「詩」。
彼は、幕末の志士であるとともに「詩人」でもありました。
詩によって、自らの思いを表し続けた彼は、最後の最後まで
それを貫き通しました。
第343回 ・・・茶の湯ならば いずれつき合おう 四乃森蒼紫
「るろうに剣心」(和月伸宏先生)の中の、蒼紫のセリフ。
ついに、心を開いてくれた蒼紫です(涙)。
第344回 私ども、三、四人の年少者は
大寺というところにおりました
田村銀之助
田村銀之助の談話より。

新撰組隊士の中でも、年少者は戦争の最前線に立たずに
別の場所にいた、という話です。
この3〜4人とは、田村のほかに市村鉄之助、玉置良造、上田馬之丞です。
第345回 八木さん、先生がどうも
顔から火が出るッていってましたぜ
沖田総司
子母澤の「新選組遺聞」の中に出てくる、エピソード。
壬生から西本願寺へと屯所を移すときに、近藤さんは
家賃として5両おいていきました。ただでさえ、安いのに(^^;)
八木さんはそのお金でお酒を買って、新しい屯所に届けてくれたんです。

それで、近藤さんが恐縮しちゃった、という話ですね(^^)
第346回 会いたいと思うなら、そっちから
会いに来るのが礼儀だ!
島田魁
黒鉄ヒロシさんの「新選組」から。
明治になって、出世した榎本武揚は「旧交をあたためたい」と
島田のところへ使者を出しました。

しかし、島田は「会いたいのならそっちから会いに来い」といい、
決して榎本とは会わなかったそうです。
第347回 今日も雨 とみ女来らず 近藤勇
近藤さんが板橋で処刑される前に、
旧中仙道平尾宿の脇本陣を勤めた豊田家に一時幽閉されました。
そこの娘とみ(他家へ養子に行っていたが)がよく
近藤さんになついていた、というエピソードがあります。
雨が降ると、とみちゃんは遊びに来ないので、それを残念がる
近藤さんが、メモか日記だかに、こう書いていたそうです。
第348回 当時の新撰組と云ったらそれこそ
飛ぶ鳥を落とす程の暴威を振ったもので
子供など泣くと「新撰組が来るぞ」と
よく口にしたものである。
渋沢栄一
〜50 〜100 〜150 〜200 〜250 〜300 301〜
【お買い物なら楽天市場!】 【話題の商品がなんでも揃う!】 【無料掲示板&ブログ】 【レンタルサーバー】
【AT-LINK 専用サーバ・サービス】 【ディックの30日間無利息キャッシング】 【1日5分の英会話】